嫌い

女ってかなりめんどくさい生き物なんだなって思った。

今日はサッカーした後に軽く飲み会をした。その時にマネージャーも数人参加してたのだが、どうやら揉めてるものがあるらしい。内容は新しく入ってきた一年生が動けないからあまり好きではないらしいその抱える問題がまあめんどくさい。内容はマネージャーは4人で二人先輩で二人後輩である。んで、先輩の一人が新しく入ってきた一年生の一人のことが動けないから(他にも全体で言えばいいじゃんって問題をもう一人の先輩に言うなどあるが省略したい)あまり好きではないらしい。

 私からしたらどうやってそんな感情を抱くのかわからないっていうのが本音である。なぜそんなことですぐ人を嫌いになれるのかさっぱりわからない。その人間性に難があるというものだったらまだわからなくもない。そこで仕事ができないからって嫌いになるのはあまりに幼稚であると言わざるを得ない。人間を見る上で大切だと思うのは感情や言論など人柄である。行動が誤っているからといってその全部が否定されるものではない。いや、されていいものではない。その否定するべきところを誤っていると、結局のところ、後々その謝っていた分のカウンター的なものがそのコミュニティの人間関係であったり、信頼性であったりするものが自分に返ってくる。そういうことをわからずに直ぐに頭ごなしに否定するやつは頭悪いなと私は思う。

 さらにこのマネージャーはもう一人のマネージャーに対してこの事を話しているのである。でその伝えられたマネージャーが私たちにその内容を伝えた。このことからこの女は悪意を共有したいのである。悪意を共有するということはあまりよろしいものではない。他の人に悪意ある内容を話すためにまず言語化される。その時点で当事者が対象者に対してどういうところが嫌いか具体的に共有することができる。さらにこの言語化され具体性を持った内容は約束事がない限りチェーンメールのように他の人に共有される。なぜなら一人で持つ悪意はしんどいからである。その後は内容を評価され、自分の知らぬ間に自分の価値を落とすきっかけを自分で作ってしまっている。伝わるうちに中身が無くなり評判だけが伝播し、結果として自分の印象を悪くしている。

 正直なところ、ステレオタイプであるのだが嫌なところを共有したい女性は数多く存在すると思う。これを言ったらフェミニストと言われる暴論者たちに怒られそうであるが… なんでこんなに多いのか少し考えてみた。育ちや教育を思い返してみると、また自分に子供ができたときに思うだろうことは、男性よりも女性の方が大切に育てられていることがあげられた。多くの女性は愛を受けられて育てられている。大切に育てることは良いことであると思うが、あまりに自己肯定感が高すぎるとプライドが高いことや自分の言うことは正しいと思うようになってしまうのではないのか。自分は育ちはよかったがあまり組織のカーストは高いところにはいなかったのでわからないが、カーストの高い人たちはそのような自分を主人公であると思い好き勝手に行動する人が多く、自分としては苦手意識を感じてしまう。そう考えてみると成長の過程で家庭においては愛を受けすぎてしまったため、学校等ではかまってもらえないまたは上手くいかなかったときに上手く愛情を伝えられる人がいないのでストレスを感じ悪意を共有し始める。愚かであると感じる。だから家庭で愛情を受けやすい女性が悪意を共有しやすいと思う。これを回避するためには人を落とすことなく自分を肯定するのが大切である。

 結局悩みはぶちまけることで楽になるが、内容が良くないものであればおすすめできるものではない。悪意に関しては多分共有しない方がいい。